雑記帳

なやめる青年のはきだめです。

風船

誕生日になんで風船?と、思わなくもないTwitterくんの仕様。


たまに(なのは自分のTwitterのFFが少ないとか交流が少ないとか諸々の理由があるだろうけれど、そも、そんな毎日見かけるものでもないか)Twitterで見かける「風船飛んだ」ツイート、ひねくれた自分はちょっとひっかかっちゃうんですよね。


誕生日、プロフィールに載せられて公開範囲までざっくり決められるのだけど、まあ、人のアカウントのプロフって、よっぽど好みの(仲がいいと思ってる、興味ある、etc…)人のしか意識的に見ないよなあ。

となった時に、誕生日晒すって、まあ要するに少なからず誰かしらに祝ってもらいたいという欲求はあるはずで、でもそれだけだと訴求が弱いから自分でスクショを撮って、これ見よがしに「祝って!!!」ってツイートするのだと思いますけれど(言い方)、めんどくさい性格で穿ったものの見方をする自分はこう思うわけです。


自分から働きかけないと祝ってもらえないような関係、あるいはその行為には、どれだけの価値があるのか、なんて。


もちろん、おめでとうと言われたら素直に嬉しいしありがたい。そこは認めるし、前提。

けれど、親兄弟、あるいは数年もの間苦楽を共にしてきた学友に対して「誕生日だよ!」なんて自分から言わないだろうし、その辺りの親密度の関係なら基本的には向こうから祝ってくれるはずで(絶対じゃないよ、おおよそ、しばしば、ね)。


そこを踏まえると、自分のスクショを大衆に晒して『おれ、今日誕生日なんやで』と強調することの、主張されるという関係の、なんともの悲しいことか。

心優しいフォロワー、交流のあるフォロワーは当然反応してくれる。けど、寂しがり屋のメンヘラこと自分は、それ以前(以上)を求めちゃうし、そうでもしないとそもそもお祝いが来ないなんてなんかいろいろと可哀想なやつじゃん?(当社比)

誤解しないで欲しいのは、そういうツイートをする人がかわいそうな〜とかものかなしいな〜とかいう風には思ってないってことで。でも、自分だったらやりたくはないなあって漠然と眺めちゃうっていうそんな感じ(どんなだ)。


うまく立ち回れば(そんな大袈裟な話ではないけれど)、噛みついてくるようなよっぽど変なフォロワーって出来ないし、SNSの在り方(だからそれほど大仰な話ではないけれど)・楽しみ方の一つっていう風にらくーに捉えればいいんだけど、拗らせるとこういう風にも考えちゃうって、そんな話でした。

まあここら辺が、「顔も名前も知らない、素性がわからない人」と交流を図ったり、あるいはその交わりを眺めてほくそ笑むSNSというものの限界なのかなぁなんて、知ったような口を利いてみる。いや、偉そうすぎ(笑)



はてさて、そんなこんなで7/23の今日、実はとある記念日なのですねー。何かって?そりゃ…









誕生日おめでとう、自分。









いや、ツイートじゃないし。記事だし。そして自分で言祝いでるだけだし。全然そんなんじゃないし…。





今となっては母親だけが毎年祝ってくれてる自分の誕生日。祝ってくれるリア友すらおらんくなった(というかそもそも知らん可能性のが高いけど)lonely極まりないじごろんの、深夜の嘯きでした。





26かあ…まだまだガキだなあ…